効率化をしようとすることの弊害
普段から効率化を意識している。時間短縮、ミス減少の為に効率化はとてもいいことではある。たとえばエクセルでのマクロなどは一回きっちり作れば次回からそのマクロをまわすだけだから、ミスもしないし、別作業もできるから効率がとてもいい。
To Doリストもそう。今日やるべき仕事をリストアップしていって、やる順番を決めて番号をふって、と言う風にするとモレもないし、優先順位の高いものからやれる。
このように効率化っていい面もあるけれど、実は悪い面もあるのではないか。
全部に効率化を突き詰めると人が機械のような存在になってしまうように感じられる。
それにまず、やってて楽しくない。
これ、とても大事。仕事は早いけど、面白くないんじゃ本末転倒ではないか。物事を継続できない仕組み作りを自らしているようなものだ。
また、例えば人に物事を教える時、効率重視でスピードばかり意識していて、相手に伝わっているかどうかを見失う可能性だってある。
あと、無駄な部分を徹底排除するため、その無駄という経験が蓄積されないから、良いアイデアが生まれなかったり、能力があがらなかったりするのではないか。
ミスしないように効率よく部下に教えても、一向に基礎力が上がらない場合もある。ミスをしてそれをカイゼンする、トライ&エラーがあって人は成長していく。
効率化ではトライ&エラーは排除されてしまうだろうし。
そして何より心の余裕がなくなるのが弊害だと思う。気が休まらないというか。時間を常に意識するから。
例えば、車の移動がそう。渋滞とか道を間違えるとかを無駄と感じるから、時間を気にしてイライラしてくる。そのリカバリーをしようと急ぐので、乱暴な運転になってしまうこともある。結果、ストレスがたまりやすい。
もっと余裕をもって取り組むからこそ、生まれてくるアイデアだったり、楽しいという気持ちだったりが発生するのではないか。
自分は効率人間だった。プライベートでも何をするかTo Doリストを作って一つ一つ消化するような。
書いてあることは達成できる。でも充実感が生まれない。やりたいことではなく、やるべきことを重視していたからだ。
本当にやりたいことがあっても、この時間までに終わらせないと他のことができなくなってしまう、という気持ちが働いて十分に楽しめない。楽しくて盛り上がっている時でも、それを切り上げてしまうことだってある。実にもったいないことだ。
そのもったいないことをしている、ということに今まで気付かなかった。
ブログを書く時も当てはまる。基本的に30分で終わらせようと書いてきた。だからあまり文章を見直せなかったり、もっと書けるし書きたいのにやめてしまっていた。
時間を気にして常に焦っている状態。
そんなんで、面白いことが浮かぶわけない。良い文章が書けるわけない。楽しいと思えることを自ら削ってしまっている。
ゲームについても、RPGが好きだったのに、時間がないと焦っているから、こんなに長くできないって思い、楽しめなくなってしまった。社会人になってからはRPGをクリアしたことがない。
ただの散歩をしている時でもそう。次に何をやろうか考えながら歩いている。何も出てこないと焦る。
それは何故だろうと考えたとき浮かんだのは、一日を充実させたい、という思いが強いことだった。だからあれもやった、これもやった、という結果が欲しい。達成数の多さも気にしているようだ。
効率重視だと、結果に対して満足感はあるけれど、もっと今やっていることを、もっとかみしめる方がもしかしたら充実感や楽しさが、さらに生まれるかもしれない。
なので、プライベートでは時間をあまり意識することをやめよう。特に楽しいことなら。それか、スケジュールにもう少し時間の幅を持たせよう。そうしないと、次これをやらなきゃいけないとかで、今やっていることに焦りがでてきて、心から楽しむことができなくなってしまう。
学生の頃はもっとのんびりと過ごしていた。その頃は心のゆとりがもっとあったのを記憶している。その感覚を取り戻したい。別に南の島に行かなくたって、出来るはずだ。
少なくともプライベートでは効率より効果を重視したい。
今日、試しに散歩をしながら、次のことを考えずにぼーっと歩いてみた。そしたら日光浴って気持ちがいいなーとか、天気のいい日って最高だなーとか色々浮かんできた。
時間を忘れて歩いていると、なんだか昔の頃に戻ったような懐かしさを感じた。
しかしのんびりしていると、今日やりたいことを達成できる数が減ってしまうのではないか、という不安もよぎる。
達成数は少ないけど一つ一つの物事が充実するのと、達成数は多いけど、一つ一つの物事が深掘りされなかったり焦ったりするのと、どちらがいいのか。
あれもやった、これもやった、って人生でありたいので、ちょっと迷う。でも、達成数よりも充実した1日を送ることが幸せな道だろう。
ただ、今まで効率を意識して生きてきた効率人間である俺には、マルチタスクをする思考になっているので、気を抜くと、散歩中にも別のことや、次何をしよう、ということを自然と考えてしまっている。
幸せな人生を送るためには、克服しなくちゃいけない。日々、訓練である。
ブログに何か書きたいのに、書きたいと思える内容が浮かばない時ってどうすればいいの?
ここ最近、ブログの更新が止まっている。何かを書きたいって気持ちが途切れたわけでは全然ない。むしろ、何か書きたい。発信したい。
日常に転がっている内容を適当に拾って、それをネタに書くことはできる。でも、書きたいと思えないんだよね。内容は何でもいい、というわけではないようだ。
そういう時は書かないで別の事してれば自然と思い浮かぶかなーなんて考えていたが、どうやらこのままだと、ずっと何も更新できなそうだ。やべー、何か書かなきゃって気持ちになってしまう。
焦りながら何かを題材にしてブログを書いても、あと何文字で1000文字だから、ここまでは頑張ろう、のように無理やり話を広げようとするので、ちょっとした苦行になる。
それだと意味がないんだよね。んじゃ、3行ぐらい書いて更新すればいいのかっていうと、何となく嫌だ。
あと、このブログとは別に日記をevernoteに書いているんだけど、そちらに思ったことを文章構成気にせず、書きまくっているため、すっきりしてしまう。だからevernoteに書いたものはブログのネタとして浮かばないのかもしれない。自分のなかでは完結してしまったからか。
だから、この日記みたいなのを、ブログの下書きにどんどん書いていけばいいんだって今思った。そんで話が広がらなそうだったら、下書き保存しておいて、更新したい気持ちが強くなったら書けばいいし、別の新しい内容が浮かんだら、そちらを書いたって構わない。
書く内容がないとき、話を広げにくいだろうなと感じているときでも、実際に書いてみると、思ったよりどんどん内容がでてくることもある。
だから、ブログに書いていく、というのは大事なのかもしれない。その内容を公開するかどうかは後で決めればいいんだ。
ブログを書きたくないのなら、書くことをノルマにしないで、書かなければいい。書くことが負担になって、それが蓄積すると、書くこと自体が嫌になる可能性がある。
あと、書くボリュームとか気にして、負担を感じることもある。全部をその時に書かなくてもいいし、ある程度短い内容でもいいし、書いた内容が気に入らなかったら、投稿しなければいい。もっと気楽にやろう。
せっかく楽しい趣味が一つ増えたわけで、その芽は大切に育てていきたい。
悩む時間を減らすことがエネルギッシュな生活につながるではないか?
自分は悩みやすい。細かいことを気にしやすいから、それが本当に大丈夫か、結構な時間を割いて悩む。
例えば業務で何かミスをしてしまったかもしれない時。
大体お昼とか、帰ってから気付く。そして、もしこうだったらどうしよう、言い訳はこういう風にすればいいだろうか、リカバリはこういう風にすればいいだろうか、という風に、実際に起こっているか分からないことについてあれこれ考える。
メリットもある。まず本当にミスっていた場合。対応策をすでに考えているから、行動が早い。言い訳もスラスラでてくるw
デメリット。考えすぎて、頭が痛くなったり、疲れたりすること。
ひどいときは被害妄想・ネガティブ妄想に陥る。言われてもいなかったり、なってもいないことを想像して、それに対しての対応を考えたり、相手を責めたりしている自分がいる。
心配性ってやつなんだろう。もしかしたらと気になって、他のことに集中できない。こういうことにエネルギーをかなり吸い取られているのではないだろうか。そのせいであろう。私生活に影響がでてくる。
大体こういう日は、すぐ眠くなる。イライラしたり悩んだ日は疲れが半端ないのだ。だから、帰ってからやりたいことができないで終わる。うまく回っていないなと感じる。あまりに疲れるとせっかくの休日でも、何もやる気が起きなくなる。
だから、悩む時間を極力少なくするような考え方に変更してみた。
例えば、ミスかもしれないという部分が思い浮かんだとする。そういうのってお昼休憩とか、仕事終わってから気になったりすることが多い。
そしたらまず考えるのは、ミスしたかどうかは仕事時間になってから確認しよう、とすること。そのことを忘れるため、スマホから簡単なメールを職場メールアドレスに送っておく。その件を確認するように、という感じの件名で。
次に、ミスってもいいやと思うこと。本当にやらかしているのであれば、今更取り繕ったってしょうがない。怒られればいいやと開き直ることにした。次どうすればミスを防げるかを考えればいい。
自分で判断つかないことが発生した場合も同じく、悩む時間を減らす。誰かに聞こう、これをまず確認してみよう、このやり方で進めてみよう、夕方まで寝かそう、などとりあえず方針を決める。
そしてやってみる。それで成果があがらなければ別の方法を考えてみる。たったそれだけ。頭の中であれこれ考えるより、実際にやってみてから考えたほうがいい。
こうやって、物事を瞬時に決断してしまう、ということが大事なのだと思う。
被害妄想・ネガティブ妄想についても同じ。そもそも何も起こっていないことに対して考えているわけだから、何か起こったら考えよう、と思い、その後は思考を切ってしまえばいい。
んで実際試したら、やっぱりこっちの考えの方が楽。ミスってたらどうしよう、なんて頭の中でぐるぐる考えなくなって、ストレスが減った。
分からないなら人に相談する。迷惑かけるかも知れないが、迷惑だったら言ってくださいと事前に伝えればいい。ダメだったら別の人に聞けばいい、そんな感じでシンプルに決断する。
その成果か、昨日はそこまで疲れなかった。残業で帰ってきたの22時だったけど、その後にゲームやったり、ブログ書いたりと色々活動できた。
翌朝も疲れがたまっている、という感じはしていない。
人生をエネルギッシュに過ごすためにも、この考え方を継続していこう。
銀魂華祭り2017(仮)に行ってきたよ!
先日のおすすめ漫画ランキングでも紹介した銀魂。
結構パロディが多くて、俺のように30代ぐらいだと、そのパロディ元が分かってすごく面白く感じるんだよね。
月詠が好きなんだけど、Youtubeで月詠が出るシーン見れないかなーなんて探していたときに、見つけたのが、銀魂晴祭り2016(仮)。
何かライブで声優さんが銀魂の名(迷)シーンを実演したり、主題歌のライブしてたりで会場はやたら盛り上がっていた。
声優に正直興味はないけれど、何となく面白そうだなーと思い銀魂のHP調べてみたら、2017年もやるじゃねーか!ってことでチケット取って行ってきた。
場所は両国国技館。自宅からだと、約2.5Hという結構な距離。ちょっと電車酔いになりつつも到着。昼飯は近くの松屋でかきこんだ。
まず遠くから、両国国技館をぱしゃり。
そして会場付近に到着。やたら女性が多い。
えっ!?銀魂って内容的にも男が好きそうな漫画なんじゃないの?
男見つけるのが難しいくらい、女、女、女。
女性限定だったのか、メールを再確認するぐらい不安にさいなまれる。
気まずくなって、ちょっと帰りたいなーって気持ちを押し殺し、まあ、ここまで来たら入るしかねー!って自分に気合いを入れました。自意識過剰か!
初めての両国国技館。正直勝手が分からない。入口では、銀魂の衣装が展示してあって、とりあえず写真を撮る。これも女性にまぎれてw
そして、座る場所を探すが、俺は高いチケットを買ったので、1階の中央ステージ近く。だってせっかく見るなら近くで見たかったし。てなわけで探す。
会場、こんな感じ
両国国技館って座るスペース、地べたなんだね。知らなかった。ってか、座るマスっていうの?手すりに囲まれた正方形のスペースがテープで4マスに区切られていて、1マスがめちゃくちゃ狭い!!
俺、胡坐かくだけで足痺れるんだけど。どうしよう。
そして、やっぱり同枠の他スペースには若い乙女がすでに2人座っている。
正直、困った。
意を決して座ったけど、体育座りするだけでしんどい。後ろにある手すりみたいなのに座ろうと思ったが、178cm、80kgの体格じゃあ、後ろの人の邪魔になるかと思い、頑張って縮こまる。
ってか、始まる前から、既に足が痛い。もつのか、これ。
到着時間が遅かったからなのか、座って間もなく華祭りが始まった。
女性の歓声すげー。開場ちょっと揺れてるし。震度2ぐらいになってるし。ってかサイリウム持ってるよ、みんな。音楽ライブじゃないのに。何だこれ。
という場違い感をぬぐえないままライブが進む。
正直、足がしびれたり、関節が痛くなったりでライブどころじゃないことに開始5分で気付く。もう出たい。
でも声優さんの熱演が間近で見られるのは何か面白い。特に坂田銀時役の杉田智和さんや、近藤勲役の千葉進歩さん、志村新八役の阪口大助さん、めっちゃいい声。そしてうまい。
近藤役の千葉さんは素の声と結構違うような気がした。わざとハスキーボイスを作ってしゃべってるのが分かる。
杉田さんはちょっと緊張してるのか、表情がこわばってる。それでもセリフ噛まないし、声の抑揚があって、あーいつものTVで見る銀時だって感じれてうれしい。
あと、お通ちゃん役の声優さん、うんこうんこ言っててちょっと笑った。ありがとうきびうんこー。
いつもの銀魂のコミカルな場面を声優さんが真顔で真剣に熱演する姿が気になって、会場にあるでっかいモニターはあまり見ていなかった。そちらにアニメが流れてて、それに合わせてアフレコしてるんだけど。
こうやって見ると、声優って面白そうって感じる。キャラに命が吹き込まれてるって感じるなー。アフレコ一度やってみたい。
バックミュージックは生演奏。何か過剰に豪華。臨場感は増すけどね。ってか足がもう限界近い。体育座りやあぐら、片膝立てを繰り返す。前の女性に足が当たらないよう、慎重に慎重に足を組み替える。お尻とかに足あたったら逮捕されちゃうんじゃないかって不安でいっぱい。狭いよー。
内容は声優さんが銀魂シーンをアフレコするってのがひたすら。あとOP・EDの生ライブ。最後に作者の空知英秋からのコメント。
2時間ぐらいだったけど、ようやく終わった。足がしびれて動きづらい。でもそそくさと帰る。
銀魂っていうか、声優さんの祭りだったなって印象。何かセリフ言うたびにキャーキャー言ってて、正直うざかった。
これで8000円か。高いなー。
椅子の席だったら、もう少し楽しめたんだろうな。体固い人、でかい人には正直おすすめできない。両国国技館。何か狭い檻に閉じ込められた気分だった。
最後、フィナーレでテープやら桜やらが飛んできた。もらう気なかったけど、俺の座っている場所に飛んできたから持って帰ってきちゃった。
は~。色んな意味で楽しめたし疲れた銀魂華祭り(仮)だった。
肩こり、首こりがひどいから、整体に行ってきた!
以前、不眠症についての記事を書いたが、
現時点でもやはりまだ途中で何度も起きてしまう。頭皮や顔のかゆみはクリーム塗ったり、頭皮ケア用のシャンプー使ったり、加湿器使ったりで、乾燥を防いでいる。
それでもまだかゆいが、今は様子見。
それ以上に困っているのは寒くて起きること。
寝相が悪いというよりは、俺の両腕の野郎が必ず顔付近まで上がってくるんだよね。頭の上にキノコがあるわけでも、コインがあるわけでもない。でも自由の女神よろしく、ガッツポーズ的な形になってしまい、当然布団からはみ出るわけだから、肩まわりが冷えて目覚める。
それも毎日。
ポケット付のパーカーを寝間着にしているのだが、ポケットに手を突っ込んだ状態で寝てもダメ。いっそ手錠でもかけるしかないのだろうか。
困ったときは、インターネット様ってことで、調べてみると、肩や首が凝っていると、体が無意識のうちに楽な姿勢になろうとして、腕が頭付近まであがってしまうことがあるらしい。
そして、その体制でいると、血流が悪くなり、体の冷えにつながってしまう、なんてことが書いてあった。
これってドンピシャな状態。普段、仕事でもPCをずっと使っているし、自宅でもPCの前にいるから、一日中同じような姿勢でいるんだよね。
おかげで肩や首の凝りは半端ない。肩甲骨も固いのか、体の後ろで腕を伸ばして、両手がつかめないんだから。
腕をバンザイするとめちゃくちゃ疲れるので、10秒が限界。このままではいかんと思い、病院に行こうと決心。
嫁が、会社の同僚にもらった整骨院のお試し券があったので、人生初、整骨院に行ってきました。
紹介された整骨院は、何の情報も調べずに行った。受付には若い兄ちゃんが2人ぺらぺらしゃべってて、先生はどこかなーなんて思っていたら、兄ちゃん達が先生だった・・・
受け付けの上には、模造紙に先生の顔写真と自己紹介的なことが殴り書きされている。
趣味:ゲーム
・・・この情報、いる?
写真みたら、目の前の兄ちゃん達だったので、ちょっと驚きというか軽く不信感。俺に対する話し方も何かちょっとヘラヘラした感じだったし。一気に警戒モードに突入する。
でも無料だし、せっかくのいい機会だからと我慢をして、まずは検査を行った。
検査といっても、横向きと後ろ向きで写真を撮るだけ。写真を撮る前に骨盤とかに黄色い磁石的なものを服の上から貼られた。
写真撮るときも若い兄ちゃんはヘラヘラ~ってしてる。
終わって数分後、また呼ばれた個室っぽいところで先程撮った写真を見せられた。
マーカーで書かれた中心線っぽいところから、大分ずれていることが分かる。横向きの写真だと、体が前傾姿勢だし、後ろ向きの写真からは、肩の位置が明らかにあってなく、全体的に右に斜めってるというか。骨盤も右上がり。
何これ。これ俺?すっげー気持ち悪い・・・
姿勢で人がこんなに気持ち悪く見えると思わなかった。兄ちゃん曰く、姿勢がすこぶる悪いとのこと。そして首や肩のコリは猫背が原因らしい。
普段、証明写真ぐらいしか、まっすぐな状態で自分を撮ることなんてないから、気付かなかったよ。
んで、3か月ぐらいで治るらしいと話を受けた。週1で行くとして、12回分。費用は全部で2万4千円。高い。保険効かないからきつい。整体ってこんなもの?
でも、その後受けた施術で、肩とか首の凝りが大分治ったんだよね。普通に座ったのに、背筋がシャンとしてる感じが自分でもわかったし。
状態が悪いから、成果はすぐに感じられるようだw
施術している時も兄ちゃん、ヘラヘラ~って感じだったけど、なんか慣れてきた。
ボーナスも入ったことだし、自分のメンテナンスのためにも、3か月だけ受けてみるかと思い、次回の予約をして帰った。
ってかお会計、910円です、とか言われたんだけど。
無料お試し券じゃなかったんかい!?
聞いたら、自費治療分の無料券であって、保険適用部分は有料らしい。
かろうじてお金があって助かった。
後で嫁に聞いたら、あ、そうなんだ、ごめんね!だって。
まあ、肩周りも軽くなったことだし、今日はぐっすり眠れるかと思い、ワクワクしながら寝床に入ったが・・・
相変わらず、自由の女神状態で目覚めました。
ブログに書く内容に困ることってない?
毎日、朝か夜にブログを書くようにしてるんだけど、書きたいって思う感情はあっても、何を書こうってので迷う。
先日、情熱についての記事を投稿したけど、
この内容について、すごく書きたい!!って思うまではいかなかったりする。
何となく、このことについて書こうかなーとか思うのはあるんだけど、頭の中で、書こうとする内容があまり出てこなくて、やめてしまうんだよね。
無意識に抑制されているのだろうか。
多分、何も考えないで文章を書けば、文章の流れはおかしなことになるだろうけど、どんどん書けるんだろう。
ってことは、読み手を意識しすぎるから、書く内容が制限されてしまうわけだ。
だから、最近は見出しとか作らないで、思ったことをひたすら文にするだけにしている。この方がやりやすい。
あと、その時調べてる内容をブログにしようとすると、タイムリーだからか、とても書きやすい。勢いとかモチベーションってのもやっぱり大事。
後で書こうと思ってると、時間が経つにつれて気持ちが萎えていくんだよね。
だからこのブログネタなんてのをいっぱい取っておいても、どれもあんまり書きたいって思えない。
それよりも、その日その瞬間にフワッと浮かんだことの方が情熱をもって書けたりする。
ほぼ毎日ブログを更新しているけど、何年もずっと続けている人ってすごい。そういう人はやっぱり書く行為自体が好きなんだろうな。
自分は書く行為よりも、自分の思いを吐き出す行為が好きなわけで、そのツールの一つがブログなんだよね。
自分の思いを勢いでバーッて書くとエネルギーは使うんだけど、やりきった感というか、気分が良くなる。胸がスーッとするし。
でも頭を使って、やれ文章構成やら読者を意識するやらSEOやらなんて考えて書いていると、調べる時間がかかりすぎて、書く行為自体が負担になってくる。
それがチリツモになると、書きたくなくなってしまう。しんどくて。書くとなると、あれもしなきゃこれもしなきゃって束縛される。
だからこうやって自己中ブログができあがったw
でもブログってやっぱり自分の思っていることを見える化する行為が楽しいわけで、人それぞれ書きたい内容って違うから、こういうブログもありなのかなと思う。
一番はブログを書く行為を楽しむこと。
それが一番大事。文章構成などは二の次でいい。
そうやって束縛から解放してあげると、実は書くネタってどんなものでも大丈夫なのかもしれない。
自分のなかの制限を少しずつ解放していこう。
人にコントロールされたくない!
他人が自分の思い通りに動いてくれないとイライラするときがある。それって依存だろうか。よく分からない。
でも人をコントロールすることって難しい。というか、してはいけないことなんだと思う。
だって、自分がコントロールされてるって感じたら、反発するのは目に見えているし。
例え仕事であってもそう。
うちの会社では上半期、下半期の初めに目標を設定しなければならない。個人目標なんだから、自分のやりたいことのなかから設定したい。
でも、上司からこれをやってほしいって言われることがある。
まず間違いなく、気が乗らない。
やる気も起きない。面倒くさいし、勝手に決めようとするなって思って、絶対その目標にしたくなくなる。
だから、代案を数個持ってきて、こっちでやりたいって持っていく。相手に言い返されないように。
人ってコントロールされるのを嫌う生き物なんだなって思う。だって自分がされたら嫌だから。
その考えに反して、自分の思い通りにするため、相手をコントロールしようって思ってしまうことがある。
結果、周りから嫌われる。
以前、管理職になることを断った。昇格したら給料がかなりアップするのは分かっている。転職にも有利に働くだろう。でも断った。
なぜなら、他者をコントロールしようとする機会が増えると思い、嫌だったから。
他にも他人の感情に飲み込まれやすいこととかもあって、これ以上ストレスの種を増やしたくなかった。
だから、管理職の人ってすごいなって本当に思う。
自分のできないことができるから。できないことっていうか、やりたくないことでもあるけど。
人間関係のうまい人は、他者をコントロールするのではなく、バックアップすることで、良い関係性を作っていくのだろう。
もちろん、部署の方針とかトラブルとか色々あって、立て直すにはコントロールが必要だと思う。
このブログを書きながら思ったことだが、軸となる方針はブレないように、周りに言い聞かせる必要はあるが、必要以上にコントロールはしない、ってことなんだろうか。
どうも白黒思考になってしまって、中間部分という発想は自分にはなかなか浮かびにくいものだ。
コントロールの度合いをどうするか決めるには、相手とコミュニケーションを取る必要がある。
どの程度コントロールすると、嫌がられるのかは対話のなかで分かる。今まではコントロール重視で、相手の感情を無視することも度々あったが、今度からは相手の感情も意識していこう。
管理職は今でもやりたくないが、社会のなかで生きていきたい。
そのためには、より良い人間関係の構築が自分には必須だから。
もっと自分が生きやすい環境を、自分の手で作るのだ。