「自分の人生を歩く」 日々徒然日記

「自分の人生を歩く」 日々徒然日記

行ってみた、やってみた、食べてみた、見てみたことを書き連ねるブログ。主にアニメ・マンガ・ゲーム・観光地・外食の感想中心

色んな壁にぶつかり続ける40歳。

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こんにちは。昨日あたりから、転職の事を考えるとめまいとふらつきが起こり始め、身体にまで影響を及ぼしている状況に危機感がさらに募っている、どうも僕です。

 

これを書いている今も、頭がぼーっとしてきましてね、何にも身が入らないんです。朝起きて、食器を洗ったり、ブログを書くルーチンがありましてね、それすらできなくなってきています。

 

非常に困っています。

 

ちょっと特殊な環境で育ったものですから、自分のやりたいこと、物欲などに対して、ずっと蓋がされていたんですけどね、その栓が取れたのが、ここ数年なんです。

 

なので、10代の時は、自分がやりたいこととかについて、空想することはあっても、現実として行動してこなかったわけでしてね、キャリアプランなんて今まで大して描いたことなかったんです。必要としていなかったというか、向き合いたくなかったというか、目の前のことやってれば何とかなるだろう、という。

 

学生時代の就活でも、会社に興味を持てず、職種に興味を持てず、新卒で正社員になることは叶いませんでした。当時の僕は、経験が少ないからだと思い、短期派遣スタッフとして、色んな会社で働いてみれば、何かやりたいことが見つかるかもしれない、と思ったんですね。

 

当時はあまり物欲がなかったものですから、今振り返ると、その状態はかなりやばい成長をしてきた証なのですが、金銭的に派遣スタッフでも何とかやれてこれたんですね。それに、その派遣で現在の嫁と出会えたわけでして。

 

派遣では成果が思うように出ず、当時付き合っていた嫁とも結婚がしたかったものですから、給料・福利厚生が良かった営業職に就きました。しかし体育会系の志向が強く、営業所長の言う事に口答えすることはできず、何かにつけて怒鳴られる日々でもありました。

 

営業所長を家、もしくはパチンコ店に送った後、僕は自分一人で営業先を周る日々に虚しさを感じていました。コミュ障だったこともあり、営業先とうまく話すこともできず、営業なんてもっての他。世間話なんてできなかったんですね。当時の僕には。嫌がられながらも商品を納品する度に、所長はこないの?と言われ続けていました。

 

ある日、ストレスが爆発して所長と口論になり、すぐに辞めたもんですから、もちろん次の仕事は決まっていません。また短期派遣で食いつなぎながら、前の会社に入社したのです。アルバイトとして。

 

能力や成果が認められ、3か月で正社員に昇進し、さらには事務職にスカウトされ、異動しました。そこでは、周りがやるべきことをやらないので、それを是正する役割を担うことになり、いわゆる汚れ仕事をやった結果、相手からは嫌われました。

 

僕もなんでこんな思いをして人に怒りながらやってもらわなきゃいけないんだろう、そう思ってましたが、それが僕の仕事なので、頑張ってやるしかない。頑張れば頑張るほど、相手からは嫌われていきました。ただ、管理職からの評価はかなりよかったです。自分がいるからこの部署はもっている、そういわれるほどになりました。

 

でもね、本当は仲間が欲しかったんです。怒りたくなんてなかったんです。ある時、その思いが爆発し、怒るのをかなり減らしました。そしたら、かなり生きやすくはなりました。やりたくないことを出来るだけ減らしていく。

 

今までの人生、やりたくないことを我慢してやってたからでしょうか、それともやりたいことができなかったからでしょうか、タガが外れました。仕事でもやりたくないことはやらない、言いたくないことは言わない。これまでの反動で僕は自由に振る舞うようになりました。

 

おそらく、今回の退職勧奨まがいの退職は、自由に振る舞いすぎた結果となります。管理職になれ、と言われても、拒否をし続け、上司に逆らった結果。管理職にならなくても、マネジメントはきちんとやっていたんですけどね。

 

いずれ辞めるつもりだったから、悲観的にはなりませんでした。まさか切ってくるとは思わなかったですが。案の定、僕が抜けた部署はボロボロとなり、今やきちんと機能しなくなっているようですから。周りの部署からバッシングを受けているみたいです。

 

これまで、色々とやりたいことをやり続け、やりたくないことをやらないで懸命に生きてきた分、自分の好奇心、興味は増えていました。大学時代に比べてずいぶんと。

 

そして、給料は400万ぐらいは欲しいな、自分の車も一眼レフも欲しいし、車買ったら友達連れてキャンプに行きたいな。旅行も行きたいところがいっぱいあり、副業でやってみたいこともある。物欲、金銭欲などの欲も、学生時代よりはるかに増えていました。

 

いい傾向。

 

だから、転職活動だって、きっとうまく行く。あの頃の自分とは違う。能力だって周りから認められてるわけだし。そう思っていました。8月までは。

 

9月22日現在、無職です。7月、8月はかなり余裕をぶっこいてました。北海道や長野に旅行に行き、自転車の整備が楽しくなったり、勉強したり、大喜利をやってみたり。

 

しかし、9月中に何とかしようと転職活動に向き合った結果、何ともならない現実がありました。

 

7月はコロナの影響、8月はお盆があるから、求人は少ないだろう、それはしょうがないと思っていましたが、9月になったって、状況は変わらない。その状況のなかで、やりたい仕事を見つけるのに苦労し、やっと見つけても書類選考が通らない。

 

都心は書類選考で全滅、面接に行けたのは家の近くの倍率が低いものだけです。家の近くでうれしいのですが、そんな求人、めったにないのです。

 

書類が通っても、面接で、会社都合退職の件や短期派遣スタッフとしてのブランクがあることの説明をしても、相手方が納得されないこともありました。

 

自分としては筋が通ってるのですが、会社側からすれば、フラフラしている人間にしか見られないんでしょうね。

 

転職市場のニーズ、つまり、自分の市場価値が低い現実に直面しているわけです。

 

これからどうやって生きようか。キャリアプランなんて大層なものが作れるのだろうか?作ったところで実現をどうやってするのか?可能性があるのか?イメージわかないことばかりです。

 

今、1社だけ、前職よりも給料あげるから是非来てほしい、そう言ってくれるところがあります。つまり、面接に通ったわけです。

 

土日祝休み、家から自転車で30分程度の距離。

 

しかし、かなり小さい倉庫で、社員は1人。あとは社長じきじきにフォークとか乗ってるw それ以外はパートさんが10名程。

 

コロナの影響で業績も不安定らしく、もしここが潰れたら次行くところは、きっともっと条件が低くなるという不安、そしてここでキャリアアップができるのか?という不安がつきまといます。

 

冒頭の通り、そういう不安ばかり考えて、めまいとふらつきが起こるようになりました。

 

正直、疲れたからここにしたい。でも先を考えると、絶対に止めた方がいい。

 

嫁に相談しても嫌がられます。人の悩み相談なんて聞きたくないらしいです。悲しい。辛いと相談したら、嫁が落ち込んでしまいました。なので、一人で考えるしかありません。

 

決断にせまられて、また、めまいがするのです。

 

最近はネガティブな記事しか書けんな…


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