肩こり、首こりがひどいから、整体に行ってきた!
以前、不眠症についての記事を書いたが、
現時点でもやはりまだ途中で何度も起きてしまう。頭皮や顔のかゆみはクリーム塗ったり、頭皮ケア用のシャンプー使ったり、加湿器使ったりで、乾燥を防いでいる。
それでもまだかゆいが、今は様子見。
それ以上に困っているのは寒くて起きること。
寝相が悪いというよりは、俺の両腕の野郎が必ず顔付近まで上がってくるんだよね。頭の上にキノコがあるわけでも、コインがあるわけでもない。でも自由の女神よろしく、ガッツポーズ的な形になってしまい、当然布団からはみ出るわけだから、肩まわりが冷えて目覚める。
それも毎日。
ポケット付のパーカーを寝間着にしているのだが、ポケットに手を突っ込んだ状態で寝てもダメ。いっそ手錠でもかけるしかないのだろうか。
困ったときは、インターネット様ってことで、調べてみると、肩や首が凝っていると、体が無意識のうちに楽な姿勢になろうとして、腕が頭付近まであがってしまうことがあるらしい。
そして、その体制でいると、血流が悪くなり、体の冷えにつながってしまう、なんてことが書いてあった。
これってドンピシャな状態。普段、仕事でもPCをずっと使っているし、自宅でもPCの前にいるから、一日中同じような姿勢でいるんだよね。
おかげで肩や首の凝りは半端ない。肩甲骨も固いのか、体の後ろで腕を伸ばして、両手がつかめないんだから。
腕をバンザイするとめちゃくちゃ疲れるので、10秒が限界。このままではいかんと思い、病院に行こうと決心。
嫁が、会社の同僚にもらった整骨院のお試し券があったので、人生初、整骨院に行ってきました。
紹介された整骨院は、何の情報も調べずに行った。受付には若い兄ちゃんが2人ぺらぺらしゃべってて、先生はどこかなーなんて思っていたら、兄ちゃん達が先生だった・・・
受け付けの上には、模造紙に先生の顔写真と自己紹介的なことが殴り書きされている。
趣味:ゲーム
・・・この情報、いる?
写真みたら、目の前の兄ちゃん達だったので、ちょっと驚きというか軽く不信感。俺に対する話し方も何かちょっとヘラヘラした感じだったし。一気に警戒モードに突入する。
でも無料だし、せっかくのいい機会だからと我慢をして、まずは検査を行った。
検査といっても、横向きと後ろ向きで写真を撮るだけ。写真を撮る前に骨盤とかに黄色い磁石的なものを服の上から貼られた。
写真撮るときも若い兄ちゃんはヘラヘラ~ってしてる。
終わって数分後、また呼ばれた個室っぽいところで先程撮った写真を見せられた。
マーカーで書かれた中心線っぽいところから、大分ずれていることが分かる。横向きの写真だと、体が前傾姿勢だし、後ろ向きの写真からは、肩の位置が明らかにあってなく、全体的に右に斜めってるというか。骨盤も右上がり。
何これ。これ俺?すっげー気持ち悪い・・・
姿勢で人がこんなに気持ち悪く見えると思わなかった。兄ちゃん曰く、姿勢がすこぶる悪いとのこと。そして首や肩のコリは猫背が原因らしい。
普段、証明写真ぐらいしか、まっすぐな状態で自分を撮ることなんてないから、気付かなかったよ。
んで、3か月ぐらいで治るらしいと話を受けた。週1で行くとして、12回分。費用は全部で2万4千円。高い。保険効かないからきつい。整体ってこんなもの?
でも、その後受けた施術で、肩とか首の凝りが大分治ったんだよね。普通に座ったのに、背筋がシャンとしてる感じが自分でもわかったし。
状態が悪いから、成果はすぐに感じられるようだw
施術している時も兄ちゃん、ヘラヘラ~って感じだったけど、なんか慣れてきた。
ボーナスも入ったことだし、自分のメンテナンスのためにも、3か月だけ受けてみるかと思い、次回の予約をして帰った。
ってかお会計、910円です、とか言われたんだけど。
無料お試し券じゃなかったんかい!?
聞いたら、自費治療分の無料券であって、保険適用部分は有料らしい。
かろうじてお金があって助かった。
後で嫁に聞いたら、あ、そうなんだ、ごめんね!だって。
まあ、肩周りも軽くなったことだし、今日はぐっすり眠れるかと思い、ワクワクしながら寝床に入ったが・・・
相変わらず、自由の女神状態で目覚めました。
ブログに書く内容に困ることってない?
毎日、朝か夜にブログを書くようにしてるんだけど、書きたいって思う感情はあっても、何を書こうってので迷う。
先日、情熱についての記事を投稿したけど、
この内容について、すごく書きたい!!って思うまではいかなかったりする。
何となく、このことについて書こうかなーとか思うのはあるんだけど、頭の中で、書こうとする内容があまり出てこなくて、やめてしまうんだよね。
無意識に抑制されているのだろうか。
多分、何も考えないで文章を書けば、文章の流れはおかしなことになるだろうけど、どんどん書けるんだろう。
ってことは、読み手を意識しすぎるから、書く内容が制限されてしまうわけだ。
だから、最近は見出しとか作らないで、思ったことをひたすら文にするだけにしている。この方がやりやすい。
あと、その時調べてる内容をブログにしようとすると、タイムリーだからか、とても書きやすい。勢いとかモチベーションってのもやっぱり大事。
後で書こうと思ってると、時間が経つにつれて気持ちが萎えていくんだよね。
だからこのブログネタなんてのをいっぱい取っておいても、どれもあんまり書きたいって思えない。
それよりも、その日その瞬間にフワッと浮かんだことの方が情熱をもって書けたりする。
ほぼ毎日ブログを更新しているけど、何年もずっと続けている人ってすごい。そういう人はやっぱり書く行為自体が好きなんだろうな。
自分は書く行為よりも、自分の思いを吐き出す行為が好きなわけで、そのツールの一つがブログなんだよね。
自分の思いを勢いでバーッて書くとエネルギーは使うんだけど、やりきった感というか、気分が良くなる。胸がスーッとするし。
でも頭を使って、やれ文章構成やら読者を意識するやらSEOやらなんて考えて書いていると、調べる時間がかかりすぎて、書く行為自体が負担になってくる。
それがチリツモになると、書きたくなくなってしまう。しんどくて。書くとなると、あれもしなきゃこれもしなきゃって束縛される。
だからこうやって自己中ブログができあがったw
でもブログってやっぱり自分の思っていることを見える化する行為が楽しいわけで、人それぞれ書きたい内容って違うから、こういうブログもありなのかなと思う。
一番はブログを書く行為を楽しむこと。
それが一番大事。文章構成などは二の次でいい。
そうやって束縛から解放してあげると、実は書くネタってどんなものでも大丈夫なのかもしれない。
自分のなかの制限を少しずつ解放していこう。
人にコントロールされたくない!
他人が自分の思い通りに動いてくれないとイライラするときがある。それって依存だろうか。よく分からない。
でも人をコントロールすることって難しい。というか、してはいけないことなんだと思う。
だって、自分がコントロールされてるって感じたら、反発するのは目に見えているし。
例え仕事であってもそう。
うちの会社では上半期、下半期の初めに目標を設定しなければならない。個人目標なんだから、自分のやりたいことのなかから設定したい。
でも、上司からこれをやってほしいって言われることがある。
まず間違いなく、気が乗らない。
やる気も起きない。面倒くさいし、勝手に決めようとするなって思って、絶対その目標にしたくなくなる。
だから、代案を数個持ってきて、こっちでやりたいって持っていく。相手に言い返されないように。
人ってコントロールされるのを嫌う生き物なんだなって思う。だって自分がされたら嫌だから。
その考えに反して、自分の思い通りにするため、相手をコントロールしようって思ってしまうことがある。
結果、周りから嫌われる。
以前、管理職になることを断った。昇格したら給料がかなりアップするのは分かっている。転職にも有利に働くだろう。でも断った。
なぜなら、他者をコントロールしようとする機会が増えると思い、嫌だったから。
他にも他人の感情に飲み込まれやすいこととかもあって、これ以上ストレスの種を増やしたくなかった。
だから、管理職の人ってすごいなって本当に思う。
自分のできないことができるから。できないことっていうか、やりたくないことでもあるけど。
人間関係のうまい人は、他者をコントロールするのではなく、バックアップすることで、良い関係性を作っていくのだろう。
もちろん、部署の方針とかトラブルとか色々あって、立て直すにはコントロールが必要だと思う。
このブログを書きながら思ったことだが、軸となる方針はブレないように、周りに言い聞かせる必要はあるが、必要以上にコントロールはしない、ってことなんだろうか。
どうも白黒思考になってしまって、中間部分という発想は自分にはなかなか浮かびにくいものだ。
コントロールの度合いをどうするか決めるには、相手とコミュニケーションを取る必要がある。
どの程度コントロールすると、嫌がられるのかは対話のなかで分かる。今まではコントロール重視で、相手の感情を無視することも度々あったが、今度からは相手の感情も意識していこう。
管理職は今でもやりたくないが、社会のなかで生きていきたい。
そのためには、より良い人間関係の構築が自分には必須だから。
もっと自分が生きやすい環境を、自分の手で作るのだ。
楽しいことをしているときに罪悪感が出るのは何故だろう?
自分の人生の目的なんて難しいことは分からないけど、楽しい人生を送りたいって気持ちは強い。そのために何をやるか。
以前は将来の事ばかり考えて勉強してきたけど、今を楽しむって選択肢がなかった。
だから虚しさを感じながら生きてきたけど、今は違う。
今は現在を生きる、ってことを常に意識している。難しい表現になってしまったが、要は今を楽しむってこと。
それの連続が毎日を楽しむってこととなり、最終的に楽しい人生を送りたいって目標が達成されるわけだ。
だから、自分の好きなことをどんどん広げて、それをどんどんやっていけばいいんだけど、たまに、俺こんなことしてていいのかな?って感じになることがある。
そういう状態になると、今やっていることが心から楽しめない。
気になって集中できないというか。
楽しく生きることを受け取れない自分がいるのだと思っていた。
でもなんか違う。
こんなことしてていいのかな?って感じるときはこれをやったほうがいいんじゃないの?って思いとセットであることがほとんどだ。
俺の場合は転職活動。天職活動と言い換えてもいい。
やっぱり人生の大半を占めるのは仕事であって、その仕事時間をもっと充実したものにしたい、って思いが強い。
それが潜在意識なのか分からんが、常に心の中にあって、警告をしてくる。
そして、天職活動をしている時、もしくは朝十分にやった時は、その日に罪悪感を感じることはない。
人間の体ってつくづく不思議なものだ。
ブログについてもそう。
自分の思いを吐き出す場所だから、やらないと気持ちが悪くなる。
本当にやらなくていいの?って心が訴えてくるんだよね。
心に正直になること。それが楽しく人生を暮すための秘訣なのだろう。
一日一日を後悔しないように、前に進んでいきたい。
人との距離感が分からない・・・
人間関係が苦手だ。まず人に興味があまり湧かない。だからその人のことを知ろうと思わないから、話しかけることが少なくなる。
よって、会話もうまくならない。
それ以上にどのくらい踏み込んでいいのか、感覚が分からない。
だからプライベートなことに突っ込みすぎたり、距離を近づけようと、タメ口で話したりするが結果、嫌われることがある。
他にも高校生の時、相手を楽しませよう、笑わせようと、おちょくったり、相手をけなす方法を取っていた。結果、大学に入ってから急に疎遠になった。拒絶された、ってことだろう。
今まで、人との距離感って言葉さえも考えに浮かばなかった。おそらく普通の人は自然と感覚で分かるものなのだろう。
でも、自分には分からなかったりする。自分本位で無理やり距離を近づけようとする結果、相手との距離が離れてしまうのが疑問だった。
相手だって、踏み込んでもらいたくない領域がある。仲がいいならその領域も狭まるが、仲良くなる前に、いきなり土足で踏み込むような真似をしていることに、ようやく最近気が付いた。
遅い。遅すぎる。
でも、俺にとっては重要な気付き。
何故、その感覚が分からなかったんだろう。
結局は、幼少期の家庭に問題があるみたいだ。
うちの親は過干渉で、何でも意見を押し付ける。子供の自主性を育めないことも、土足で相手の領域を踏み荒らしていることも分からない。
そうやって生きてきた子供は親の感覚が当たり前になる。
でも、それはまわりの感覚とは違う。
それに気が付くのに36年かかった。
アダルトチルドレンは往々にして、当たり前の感覚が周りと違う。そしてそれが問題だとも思わない。
だから、人間関係でうまくいかなくても、ただ人と接するのが苦手だ、と認識し、会話を上手にしようとテクニックを学ぶ。
でも、いくらテクニックを学んだところで、相手の領域に土足で踏み込むのが変わるわけではない。
結果、人間関係がうまくいかない。
ただ何となく生き辛いな、ってざっくりした思いのみが残る。
自分はカウンセリングに3年も通って、ようやくこういう気付きを得る段階に来たようだ。
とっても長い道のりに感じる。
でもこの気付きを得たのは大きい。
次からは、相手の表情を見ながら、どの話題までがOKなのか判断すればいいって分かる。入り込みすぎたかなと思えば、少し距離を離し、また別の話題で試して、ちょっとずつ距離感をつかめばいい。
人間関係は苦手だ。
でも克服はしたい。
社会で生きる以上、人間関係は必ず発生するし、そして自分も社会適応が出来るような人間でいたい。
今でも一応組織で働いてはいるが、もっと生きやすい環境を作りたい。
それには人間関係のより良い構築が必須だなって思う。
人間関係が苦手だと、自分のやりたいことも制限ができてしまう。それは避けたい。人間関係の発生しない仕事で、かつ自分が興味あるもの、って条件だと、かなり難しいことになってしまう。
転職活動してても、自然と人間関係が多そうな仕事は避けてしまう。他にも色んな苦手部分があるんだけど、その結果、応募したいって思える会社が驚くほど少なくなってしまう。
自分の条件に全部合った会社を探すのではなく、自分も社会に合わせなければならない。
ありのままの自分でいいって人もいるが、俺はありのままではいたくないのだ。
糖質オフダイエット2か月後。成果出てきた!
前回のダイエット記事から2か月がたつ。
自分自身で体の変化を感じるか、まわりから痩せたね!って声をかけられるまでは、基本的に体重計に乗らない。
だって、乗ってみて、体重変わっていないとショックだし。そのショックでやめてしまう、なんてことにもなりかねないので、非常にデリケートに自分自身を扱っている。
だってプールで1時間も泳いだのに、運動前後で体重がほとんど変わっていないとか、この消費カロリー分、何が増えたの?って感じでストレスたまるし。
引っこ抜くとギャー!!!って叫ぶマンドラゴラの如く、俺も体重計に乗ってギャー!!!と近所迷惑極まりない奇声をあげないためにも、地球の環境に配慮した、大人な行動をとっている。
でも、職場であまり関心をもたれていない俺に、「痩せたね!」って言ってくれる人もでてきたんだ。2人だけだが。
確かにベルトしめる位置が穴1つ分変わったし、ズボンもガッバーナになってきてるので、そろそろ体重計に乗る頃合と判断。
家にある、埃だらけの体重計を引っ張り出し、乗ってみる。
79.5KG!!
前回が81.7KGだったので、2.2KGも減っている!!しかも、全然苦労してない!
今までもダイエットを度々やっては、桜木花道以上の日本屈指のリバウンダーの名をほしいままにしてきた。
半年で13KG痩せ、もう半年で15KG太る、なんてこともあった。
あの時は、朝5時台に起き、毎日2時間歩き、食事も3食全部、節制。ひじきや納豆など油分が少なくて、健康によさそうなものばかり頑張って食べていた。
坊さんにでもなるのかというぐらい修行の日々。
元来せっかちな性格なので、すぐに体重計に結果がでないと嫌だったんだよね。だから無理する。
朝起きたときから体に倦怠感がある。そしてそれがダイエットのせいだと気付かなかったんだよね、当時は。何で寝たのに疲れが残ってるんだろうと思うわけ。
アダルトチルドレンって自分に意識を向けないで生きてきたから、自分の体調について、原因が分からなかったり、そもそも考えるって行為が浮かばない人もいるんだよね、俺のように。
ただ、しんどいとか、疲れたという状態だけが残る。
そして、緊張の糸が切れた後に起こるのは暴飲暴食。痩せる努力はしんどいけど、太る努力は全く苦にならない。大好きなポテトチップスをコーラで流し込む。
そして安西先生もビックリするほどリバウンダーとしての能力を開花させたわけである。
あの時と今回では、大分やり方が違う。
まず、我慢を全然していない。
それは食事制限をほとんど設けてないから。減らしたのは夕食のお米の量だけ。そして、嫁に作ってもらっている糖質オフ料理。
糖質オフっていっても、肉とかは全然食べていいから、いつもの食事と何ら変わりないんだよね。
食べる順番は一応意識してる。飲み物、サラダ、メインディッシュの順で食べる。
順番に効果があるのか分からんが、メインを食べる前にお腹が膨れるから、お米が少なくても、おかわりをすることがないってのが効果なのかも。
運動は2週に1度ぐらい、プールに行ってるだけ。
仕事中は、ドリンクサーバーが無料じゃなくなったため、唯一無料のお湯ばっかり飲んでいる。
土日は外食だって普通にしてる。モスバーガーとか大好き。カロリー高くても気にせず食べちゃう。
でも無理をしていないからストレスがたまらない。ストレスたまると食で満たそうとするから。
あまり体重を意識しないで生活していたが、いつの間にか痩せてたって感覚。
デメリットは体重の減りが遅いことだが、無理をしないのが一番な気がする。次の健康診断はあと4か月後。
毎回、再検診になってるので、今回は突破したい。病院嫌い。面倒くさい。
やるぞー!!
一人ぼっち最高!!
先日、「僕らはみんな河合荘」の感想記事を書いていて、律ちゃんのプロぼっちの堂々っぷりに感銘を受けた。だから一人でいることについて書く。
アニメでも本人が言ってたけど、一人に見られるのはちょっと嫌だけど、一人でいるのは全然嫌じゃないって言葉、自分にも当てはまる。
だって人と行動するって面倒くさいことが多い。
まず待ち合わせをしなければならない。別に現地集合で平気な人だったらいいんだけど、自分のタイミングで出かけたい。
そして、例えばコミケに行くときも、自分のまわりたいところだけまわって、とっとと帰りたいのだ。気持ちが乗っている時に行動し、飽きたらすぐに終わらせたい。
誰かと一緒に行ったことないけど。
集団行動って疲れるんだよね。自分だけが違う行動すると、ワガママとか思われるし。そんだったら自分一人でいたほうがよっぽどマシである。
会話だって、そんなに流暢にしゃべれるわけじゃないし、面白く話せるわけでもない。
でも、友達がいないって思われるのは癪である。いや、正確には癪であった。河合荘を見るまでは。
もう友達いないって思われてもいいやって思えてきた。本当は自分の好きな時に誘って、好きな時に解散できるような友達がいればいいが、そんな都合のいい話はない。
基本的に自分の事でいっぱいいっぱいの俺は、周りに合わせている余裕なんてないのだ。少しでも自分のやりたいことをやり続けたい、という欲求のほうが重要だ。
たまにお風呂に誘ってもらえるような友達はいる。2~3か月に1回だが。でもそれ以外で自分からどこかに誘うことは皆無。
その人が嫌いなわけじゃない。ただただ、自分のやりたいことを少しでも多くみつける、そのことが第一優先だから。それで精一杯なのだ。
ある意味、自分に余裕がないのかもしれない。そんな、余裕のない自分が気にかけられるのは、嫁だけで十分。それ以上は無理。キャパオーバー。
ブログや転職活動にしても、アニメや漫画を見るのだって、自分が好きなことをもっと広げるためにやっていることだ。楽しみながらやっているけどね。
そして、その「好き」が広がっていくことで、もっともっと、色んな「好き」に囲まれて生きていたいのだ。
これはもう、過去の反動でしかない。今までずっと、しんどい思いをして相手に合わせ、評価を気にして生きてきたことへの。
だから、自分中心に生きると決めている。
よく外食をするが、一人でお店に入れることに自己成長を感じうれしくなる。そして、インスタやブログに載せることを楽しみにしながら、食事の写真を撮る。
こんなんで十分楽しめるのだ。
今日はライブに一人で行けた、とても楽しめたとか、一人で日帰り旅行いった、自信ついたとか、自己成長を感じるような行動をしたい。
もしかして、それが落ち着けば、人とのつながりを求めていくのかもしれない。
でも今はまだ自己実現の準備段階。
自分の場合は、色んなことを一人で経験することに意義があるのかもしれないね。人への関心より、自分への関心が一番なのだ。
だから、
ぼっち最高!!
なのである。