就職活動や仕事についての葛藤や苦しみと脱却にむけて その1
会社には自転車で10分ほどの距離かつ、フレックス出社ができるので、大体9時過ぎに家をでて、のんびり出社している。誰に咎められることもなく、ある程度は自分の裁量で仕事量もスケジュールも調整することができる環境にある。有給休暇も自由に取れる。早上がりだって問題ない。今月の残業時間は5時間に満たない。はたから見れば、恵まれている環境なのかもしれない。
でも仕事内容はつまらない。正直飽きてしまった。だから仕事内容を変えたいと思っている。今の会社内では異動はさせてくれないだろう。そのぐらい、自分は替えがきかなくなってしまっている。同じ仕事を5年以上続けているので経験は豊富だが、誰にもできないなんてことは決してない。でもそれぐらい人材難。だから自分が異動するには困難が生じるだろう。そしてそれを乗り越えてまで、やりたいことが今の会社にあるかというと、ない。
そうなると、次に考えるのは転職だ。自分は大学の頃から、やりたいことが特になく、就職活動時も企業説明会に行くものの、その仕事に全く興味を持てなかった。何故周りは目標を決め、そんなに就職活動を頑張れるのだろう?自分には努力が足りないのだろうか?我慢が足りないのだろうか?その時は自分のことが分からず、自分を責めていた。正直とても辛かった。面接で落ちることではなく、そもそも情熱が湧かないことに対して。一応面接を受けたものもあり、2次まで受かっても辞退した。そして自分は就職浪人となった。
色んなことを経験すれば何かやりたいことが分かるかもしれない。そう思い、派遣スタッフに登録し、単発のバイトを色々やってきた。
食品工場での野菜の加工、レーンリーダーとして他の派遣スタッフに指示をだし、効率よく業務をまわすことを意識した。
5日間の契約だった別の食品工場では、自分以外に日本人のアルバイトはいなく、ちょっとさみしい思いをしながら、コンベヤーで運ばれてくる海老の頭をちぎっていた。
ポスティングの仕事では注文住宅のチラシをマンション中心に配っていった。チラシお断りのところも多く、また一軒家ではよく犬にほえられていた。
コールセンターでADSLの訪問設定受付なんてのもやった。自分の問題ではないクレームもたびたびあり、とても怖い思いをしたものだ。
派遣先からさらに派遣されて埠頭のコンテナで作業したこともあった。3時間ぐらいで終わり、1日分の給料がもらえて楽だったが、これが2重派遣で違法だということは後で知った。。。
他にも色々あったが、仕事には全力で取り組んだ。社会に必要とされる人材でいたかった。しかし正社員ではないので、いつも負い目を感じていた。負けるものかと、職安に行き求人情報を漁ったり、B-ing(休刊したらしい)を読み、横浜にある、かながわ若者就職支援センターに行ったり、キャリアカウンセラーに相談したり、動いてみた。しかし
何も変わらなかった。
働きたいという情熱はあるのだが、これをやりたいという情熱は出てこない。それでも
あがき、一番避けていた営業についても考えを改め、やってみないと自分に合うかどうかわからないと思い、思い切って面接を受けてみた。
本社は東京にあり、今回募集した支店は神奈川だ。自分は聞き間違えた覚えは一切ないのだが、面接は神奈川支店だったらしく、自分は時間通りに東京本社にやってきた。そして、面接は神奈川だと告げられると、終わったと思った。
しかし、たまたま常務が本社にいて、面接をやってくれるというので、精一杯自分をアピールした。そして何故かよく分からんが、気に入られてしまった。
神奈川支店には20名ほど面接者が来たらしい。しかし二次面接、社長面接と受かったのは、面接場所を間違えた自分だけだった。支店長よりも上の常務に気に入られたのが決定打だったのだが、合格理由は面接場所を間違える面白いやつだったから、ということらしい。
大学を卒業して3年目、ようやく人生で初めて正社員にこぎつけた瞬間だったが、1年後に退職することになる。
その2に続く