幼少時代にはまった「ゲーム」というもの その1
あれは小学1年の頃だったか、親戚の兄ちゃんが我が家にもってきたファミコン。画面には配管工のヒゲおじさんがオーバーオールを着て無邪気に走り回っている。自分がコントローラーを動かすことで、そのおじさんは穴に落ち、きのこを食べ、土管にもぐる。火の玉だしながら海だって服を着たまま泳いじゃう。
縦横無尽に暴れまわるおっさんの姿に、俺はすぐにゲームの虜となった。
当時、シングルマザーだった母親が付き合っていた男性に自分はなついており、よくゲームを買ってほしいとせがんだ記憶がある。てか、先程の親戚の兄ちゃんも含め、自分に近づいてくる大人には全員にファミコンソフトをねだっていたような気がする。みんなカモだ。これを逃すわけにはいかない。子供ながらに必死だった。
ダウボーイ・ゼビウス・ハイドライドスペシャル・ツインビー・エキサイトバイク・ボコスカウォーズ。色んなゲームを買ってもらった。
ボコスカウォーズでは文字通り、毎回ボコされ、王様はいつも逃げ帰るし、ダウボーイは操作方法がわからず、爆弾すら仕掛けられなかった。エキサイトバイクでは毎回大事故。バイクのもとに走る速度だけはやたら早かった。
毎日学校から帰ってきてはゲーム。夜もゲーム。我が家はまあまあの貧乏で2DKに母親一人と姉、兄が一人の4人家族。テレビなんてもちろん1台しかない。案の定、テレビの取り合いとなり、一番幼かった俺はいつも泣きを見ることになる。
13も年の離れた姉は段々と家に帰ってこなくなったが、それは俺にとって寂しいものではなく、テレビを使える時間が増える、喜ばしいことであった。土曜の夜に帰ってくると、子供ながらに「あー明日は笑っていいともでテレビを占領されるのか・・・早くどっか出掛けてしまえ!」と真剣に思っていた。
ゲームを妨げるやつは邪魔者でしかないのだ。
こういう時や母親に怒られてゲームを取り上げられても、俺のゲーム熱は変わらない。取り上げられ、隠されたゲームを見つけるなんて簡単だ。そして近所の兄の友達の家に行って、その人がやっているゲームをただ見ているだけで幸せな気持ちになれた。
彼は俺の家にはないPCエンジンを持っていた。「THE功夫」や「カトちゃんケンちゃん」、「ネクロマンサー」等、当時の自分には魅力的だったゲームばかりだ。当然、もっと見たい。
彼が今日は嫌だと言っているのに、玄関前で時には1時間も粘り、玄関入ってすぐの台所からうつ伏せになって体をのばし、彼のゲームプレイを見ていたのなんて、もはやキチガイだ。買い物から帰ってきた彼の母親がしょうがないから入りなさい、と同情されるぐらいだったからね。何度もやっていたらその母親に嫌われた感がある。
ちなみに、他の兄ちゃん達にも同じ手を使った。必死に玄関口で粘り、同情を誘う。
彼が中学校にあがると、部活に勤しむようになったため、遊んでくれなくなった。俺は同級生の友達に積極的に声をかけ、その人の家でゲームをやる、もしくはやっているところを見させてもらうことが日課となった。アポなしで尋ねることもしょっちゅうだ。
もちろん、我が家に帰ってもゲームをする。
お金がない俺は色んな人とソフトの貸し借りをしてもらっていた。特に印象に残っているのはファイナルファンタジー3とドラゴンクエスト3。RPGの素晴らしさに惹かれ、無理やりソフトを貸してもらった。
その後、お金に困っていた俺はドラクエをゲームショップに売ったけどw
子供ながらにクズ人間。
1年ぐらい借りてるし、返せとも言われないし、大丈夫だろう!とタカをくくっていたのだが、その1年後、ドラクエ返却の催促に追われることとなる。
そして今もなお、ドラクエは返していない。
そんなキチガイ少年だった俺に、さらに熱中の渦へと誘うゲームが誕生する。それはストリートファイター2であった。