ゲームと共に歩んできた人生 その3
僕が進路というか、将来のことについて考えるようになったのは、高校3年の1月ぐらいだったと思う。親には就職しろ!公務員になれ!とさんざん言われた。
僕は働きたくなかった。
だから大学に行こうと思った。やりたいこともなかったし、大学に行けば考える猶予がもらえる、と思ったからだ。モラトリアムというやつである。
仲のいい友達とは卒業旅行に京都に行った。ついでに秘〇館にも行った。さらに自分のクラスではやっぱり秘〇館に行った。女子もついてきた。みんな飢えているのである。
浪人生活に突入してからは、ゲームを一切絶った。一度やったらハマってしまう。ずーっと我慢してたんだけどね、親に大学行く金なんてない、就職しろ!って入試直前の12月ぐらいかな、言われてめっちゃやる気なくなった。
結局、最終的には奨学金を毎月10万、4年間借りて何とか大学に行けることになったのだけれど、勉強のやる気スイッチは母親の剣幕と共に、どこかへ飛んで行ってしまった。
だからゲームやっちゃった。
一度やったら、ハマるハマる。プレステのテイルズシリーズが面白くって、デスティニーやファンタジアを連続でクリアしたよね。50時間ぐらいかかったかな。
塾ってチューターという、担任のような人が一人一人についてたんだけど、僕はチューターに合わないように、こっそり逃げ帰ってた。気まずかったから。
入試の結果はというと、散々である。
現役時代に実は1つだけ大学受かっていたんだけど、そことほぼ同等偏差値の大学とちょっと上の大学2つ。あんま大差ない。
でも入試を受けに行ったとき、とっても校舎がきれいで金もかかってそうな、とある大学に魅力を感じ、そこに決めた。家から2時間かかる距離。今思えば、よく通ったと思う。
大学でも平日は友達の家に上がり込み、やはりゲーム。当時はドリキャスが流行っていたからソウルキャリバーとかやってた。でも一番ハマっていたのはゲーセンにあった、ポップンミュージック。
俗にいう、音ゲーってやつ。友達とハマりにハマってね、毎日のように大学近くのゲーセン行って、瞬きもしないでバチバチ ボタンを叩いていた。めっちゃ疲れるの。でも落下してくるポップンが見えるようになる瞬間が楽しくてね、夜9時過ぎに家から5駅離れたところのゲーセンいって、深夜までやってたこともある。
全部の曲がクリアできるようになった頃は、ビートマニアの”V”って曲を初見でクリアできた。初めてのビートマニアだったけど、落ちる鍵盤?がゆっくり見えるのね。さっき久しぶりにYoutubeで見てきたけど、落ちる鍵盤、全然見えないw よくやってたな。。。
この頃は音ゲーがブームで、ポップンミュージック、ビートマニア、ギターフリークス、ドラムマニアだっけ?これらが結構人気あった。ドラムマニア、難くてね、天体観測のイントロで終了してた。
大学3年にもなると、必須科目も減り、固定バイトをやる時間ができた。先程のゲーセンと同じ駅にある、ダイナミック ダイクマで3年働いた。社長は大熊さんらしい。ちなみに大学院には行ってない。僕がバイトだった頃、ダイナミックにヤマダ電機に吸収されてしまった・・・
稼いだお金で車の免許を取ったり、原付を買ったり、好きな子にフラれたり。周りが就職活動を始めていたが、自分は就職のことなんて考えたくもなく、バイトとゲームと漫画に明け暮れていた。