「自分の人生を歩く」 日々徒然日記

「自分の人生を歩く」 日々徒然日記

行ってみた、やってみた、食べてみた、見てみたことを書き連ねるブログ。主にアニメ・マンガ・ゲーム・観光地・外食の感想中心

当たり前って感覚は、当たり前ではない時の経験がないと分からない

いつも当然だと思っているものについて、ありがたいとか感じることって少ないよね。

 

それが感じられる人ってのは、当たり前ではない時の経験があるか、当たり前だったものがなくなってから初めて分かる。

 

例えば料理。自分は一人暮らし歴がたった一年しかないけど、料理って面倒くさいし、時間かかるし、本当に嫌い。

 

その気持ちがあるから、嫁がいつも作ってくれることが本当にありがたく感じる。

 

ってか嫁そのものがありがたかったりする。

 

仕事でストレス抱えて帰ってきたとき、愚痴を聞いてくれる存在であったり(嫌がられることもあるが・・・)、外食や旅行に行ったとき、同じ思い出を共有できる存在。

 

自分は一人が好きだけど、旅行や外食は一人だと味気ない時がある。でも嫁の存在のおかげで、それが楽しいものに変わる。

 

生まれた時からずっと一緒にいたら、それが当たり前で何にも感じなかっただろうけど、お互いある程度の事なら何でも言える存在ってのは大きいと、今改めて思う。

 

親も同じ。うちは物心がついたときから、母親しかいなかった。自分が思春期の中学生の頃、明日からあなたのお父さんだからお父さんと呼びなさい、っていきなりどこの誰だか知らない馬の骨を連れてきたときは殺意を覚えた。

 

同居して初日、信じられないぐらい大音量の鼾が家中に響きわたったとき、うるせーよと怒鳴り、さらに殺意が生まれたのを覚えている。

 

母親はとっても過干渉で、あれしなさい、これしなさい、公務員になりなさい、大学は行くな、年金なんて払わなくていい、などと自分の選択する権利を奪ってきた。

 

ことごとく反抗してきたけど、早く家から出たくてしょうがなかった。あまり親との時間を持たないよう、ご飯は自分の部屋で食べていた。

 

当時付き合っていた嫁と同居することになり、ようやく実家を離れられたが、それから12年も経つと、親のありがたみが少しずつだけど分かってきた。

 

本当に少しずつだけど。

 

これは離れていたからこそ分かること。

 

人との距離感について前回書いたけど、

 

pupei-diary.hatenadiary.jp

心理的な距離感が近すぎると、人は苦痛になってくる。

 

過干渉な母親は、ある意味土足で自分の領域にあがってくるわけで、それが俺には許せなかった。

 

でも今はそういう機会もなくなって、前よりは普通に話せるようになっている。

 

生んでくれてありがとうなんて全く思わないけど、母親一人で、3人兄弟を育てるのはとても大変だっただろうとは思う。これは自立して初めてわかること。

 

生んだからには子供を育てるのは当たり前と思っているが、それを片親だけで実際にやりきるのは本当にすごい。簡単にできることじゃないってようやく分かった。

 

現在、家があって、車もあって、自由に使えるお金や時間がそれなりにあるのも、本当にありがたいことだ。

 

自分は大学卒業後、やりたいことが見つからず、ずっと日雇いの派遣バイトをやってきた。薄給だったし、惨めだったし、そのころを思えば本当に今の暮らしはありがたい。

 

こうやって考えると、今まで辛い思いをして生きてきたけど、同時に今の環境へのありがたみが分かる人間にもなったんだなーと思える。

 

それはお金では買えないこと。

 

しんどい人生経験はもう御免だが、苦労は買ってでもしろ、って言葉の意味が何となく分かるようになってきた今日この頃である。

 

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