幼少時代にはまった「ゲーム」というもの その2
昔は今よりもゲーム筐体を置いてあるところが多かった。俺の地元はいくつかのコンビニにも設置されていたし、ユニーというスーパーにもゲームコーナーがあった。
初めてスト2を見たのがどこでだったのかは覚えていない。でもあちこちでスト2の筐体があったことは間違いない。何がきっかけでやろうと思ったのかも思い出せないが、とにかくドハマりした記憶だけは鮮明に覚えている。
当時の俺のお小遣いは毎日100円。小学生だったくせに、それなりに貰っていたのではないだろうか。学校から帰ってくると、100円を握りしめ、時には私服、時には体操服のままでゲームコーナーへと馳せ参じた。
スト2は大人気で順番待ちの硬貨=50円が画面端に並ばれていた。名前が書いてあるわけではないが、記憶力が悪くない限り、自分が何番目かが分かる。今思うと、よく揉めなかったものだ。
このスト2を皮切りに、「格ゲー」ブームが到来するのだが、今思えば、あそこまでアーケードゲームが盛り上がっていたのって、あの時代だけじゃなかろうか。
色んなキャラを使った。リュウ・ケンはもちろんのこと、エドモンド本田で春麗にサバ折りを連発したり、ザンギエフを使って春麗にストマッククローをしたり、当時はこれだけで興奮していたものだ。恥の多い生涯を送ってきました。
全部のキャラでクリアをすることができた。ダルシムやザンギエフだって例外ではない。それぐらいやりこんでいた。対人対戦だってそんなに負けることがなかった。
ゲームコーナーにいるのはとっても楽しかった。残金が無くなっても人のプレイを見ているだけで参考になったし、ただただ面白かった。勝ちすぎるとたまに相手が筐体を蹴り出したり、フザケンな!と怒鳴られたり、カツアゲされることもあったが、どんなに怖くてもゲームから離れようという気は不思議と起こらなかった。
スト2を皮切りに、餓狼伝説・ワールドヒーローズ・侍スピリッツ。次々と魅力的なゲームが登場した。あの頃の格ゲー人気はピークだったのではないか。あちこちのゲーセンはもちろん、小さな玩具屋や、中古ゲームショップのほとんどにゲーム筐体が置いてあり、やはりそこには人が群がっていた。誰とも遊ぶ約束していなくても寂しくはない。なぜならそこに行けば知り合いがいたからだ。
大会にも出たことがあるが、スト2は優勝してTシャツをもらったことがある。でもその後に出たREAL BOUTは小さなゲームセンターですら2回戦負け。段々とゲームの操作性が複雑になってきたことについていけなくなっていく。
中学3年になると、バーチャファイター2が世間を賑わした。3Dポリゴンの画面にちょっと違和感を覚えながらも、バシバシッと決まる技のコンボに爽快感がある。これにもまあまあハマった。崩撃雲身双虎掌、通称アキラスペシャルをやっている人に驚き、マネをしようとしたが出来ない。あの時代はインターネットなんて便利なものは身近になく、ゲームの攻略本を買うか、裏技なら大技林を読むしかなかった。
一般的に有名なグラディウスの裏コマンド(上上下下左右左右BA)というのは誰がどのように発見したんだろうか?ドラえもんでもファミコンの2Pコントローラーに搭載していたマイクで叫ぶと味方がでてきたりアイテムがもらえたり。最初に発見した人すげーな。子供の頃はそんなこと考えたこともなかったが、偶然でできるもんじゃなくね!?
中学生にとって、攻略本は以外と高い。なけなしのお金をはたいて一生懸命勉強し、覚えた。この頃になると、地元のゲーセンには出入りする人数が減ってきたが、そんなことは露知らず、いつでもゲームができることの方がうれしかったんだ。