ゲームと共に歩んできた人生 その9
先輩との同行はようやく終わり、あれだけ厳しくされた先輩は、とっても頼りになる、たわいもない会話で笑いあえる先輩へと変わっていった。今でも数少ない、僕が尊敬する人間の一人だ。
しかし、その後の仕事は全く順調ではなかった。
僕は一人で特定のルートを任されるのではなく、営業所長の担当地区の営業補佐となって、いつも所長に同行していた。営業ルートを考え、商品を運び、園長さんや主任、理事長など、商品購入の決定権者と話をする。
所長はというと・・・助手席で寝てた。パチンコに行きたいらしく、決まったパチンコ店で降ろし、その間、僕は営業をしていたりする。なので、3分の2は僕が一人で幼稚園・保育園に行っていた。
正直、話すのは苦手だ。過去、仕事の話をする分に困ったことはない。プライベートな会話は気の合う仲間となら問題なく出来る。
でも、あんまり知らない人達に対して、何をどうやって話したらいいのか、さっぱり分からない。ましてや女性が多い職場。なおさら分からない。でもすぐに帰ると所長に怒られる。ろくな会話がないのに、その場に居座る僕に、良い気がしない方は一定多数いただろう。好かれている気はあまりしなかった。
幼稚園・保育園の園長先生や理事長ってご高齢の方が多く、昔話を話す方が多いんだけど、それを聞いているのはすごく苦痛だった。心の中では早く帰りたいとか、どうでもいいとか、次何を話せばいいんだろう困った、ということばかり考えていた。常にワキ汗はMAXである。
会話に楽しみを見いだせなかった。こちらとしては商品を買ってもらいたいわけで、最初からパワーバランスに差がある。こちらはヘコヘコするしかない。話を合わせるしかない。そう思い込んでいた。
日々の車の運転一つとっても、めっちゃ大変。幼稚園・保育園って道がせまい場所にあったりするものだから、場合によっては、サイドミラーを折りたたんで通らなければいけない場所があったり、内輪差に気を付けないと、1回で曲がれない曲がり角があったり。1年の間に5回はぶつけたり、こすったりしただろう。その度、めちゃくちゃ怒られた。
所長とまわらない日は、他の先輩達に同行させてもらった。馬鹿話をしたり、大盛りの店に行ったり、可愛がってもらえた。商品運びを手伝うだけでいいし、気の置ける人達ばかりで、別の先輩と同行しろ、と命令されると、うれしくてたまらない。金曜の夜は飲みに連れて行ってもらえた。酒は嫌いであまり飲めなかったが、会話は楽しかった。
朝は7時前に家を出て、夜は22時過ぎに帰宅する。1回では車に荷物を詰め切れず、一度営業所に戻って、詰め直さなければならなかったり、周りの先輩を手伝ったりで大忙しだ。苦手な運転・会話・所長への対応で、肉体的にも精神的にもヘトヘトになっていた。
台風の日も、雪の日も、それは続いた。特に冬。新学期が近くなると、商品を大量に買ってもらうチャンスだ。納品量だって、準備時間だっていつもの倍以上かかる。とうとう土曜も午前出勤をするようになった。
僕は、やはり所長の補佐のままだった。正直、仮に一人で担当地区を任されても、自信は全くなかったし、怖かっただろうが。ただ、こんなに一生懸命働いている横で、営業時間の半分以上は惰眠を貪り、パチンコ屋に消え、弁当購入のパシリとされ、行きたくもない自宅に仕事中に誘われ、食べたくもない飯を作ってもらい食べる生活に、僕はどんどん不満がたまっていった。
そして、緊張の糸が切れる日がきたんだ。